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東京高等裁判所 平成元年(行ケ)203号 判決

脱退原告

ベー・ベー・ツェー・ブラウン・ボヴエリ・アクチエンゲゼルシヤフト

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和62年審判第8364号事件について昭和63年11月2日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  参加人

主文同旨の判決。

二  被告

「参加人の請求を棄却する。訴訟費用は参加人の負担とする。」との判決。

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

出願人 脱退原告

優先権主張 スイス国1978年7月13日出願

出願日 昭和54年7月4日(昭和54年特許願第840548号)

発明の名称 「液晶表示装置」

拒絶査定 昭和61年12月25日

審判請求 昭和62年5月20日(昭和62年審判第8364号事件)

審判請求不成立審決 昭和63年11月2日

権利譲渡届出 平成元年5月29日(脱退原告から参加人へ、平成元年5月10日、特許を受ける権利を譲渡。)

二  本願発明の要旨(特許請求の範囲第一項の記載に同じ。)

その内側には層状電極(3、4)が被覆されかつその外側には偏光子を有しない二つの平行な板(1、2)がセルを形成し、この板の間に液晶混合物(5)が配置され、この混合物は大部分がネマチツク液晶から及び残分が光学活性物質、特にコレステリツク物質から成り、かつ多色性色素(6)の添加剤を有し、板の内側に隣接する液晶混合物(5)中にホメオトロピツク配列を生じる表面構造が設けられている液晶素子装置において、ネマチツク液晶が負の誘電的異方性を有し、光学活性の、特にコレステリツク物質の含有量が電極(3、4)間の電圧を印加しない場合に液晶混合物(5)中で自発的にらせんを形成する量よりも小さいことを特徴とする、液晶表示装置(別紙一参照)。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

2  引用例(特開昭51―92636号公報)発明

その内側には電極(2、2)が被覆された二つの厚みが一定に保たれた(平行な)基板(3、3)がパネル状のセルを形成し、この基板の間に液晶混合物(1)が配置され、この液晶混合物(1)は誘電的異方性が負のネマチツク液晶に数パーセントのコレステリツク液晶を添加したものから成り、右基板(3、3)の内側に隣接する右液晶混合物(1)の液晶分子配向が右電極間に電圧を印加しない時は垂直配向(ホメオトロピツク配向)、電圧印加時はねじれ(らせん)構造となる表面処理が施された液晶表示装置(別紙二参照)。

3  本願発明と引用例発明とを対比すると、引用例発明における「電極(2、2)」は層状のものであり、「基板(3、3)」は板であり、「コレステリツク液晶」はコレステリツク物質の一種であり、「ネマチツク液晶に数パーセントのコレステリツク液晶を添加する」と、大部分がネマチツク液晶から及び残分がコレステリツク物質から当然成ることになり、「ホメオトロピツク配向」はホメオトロピツク配列に同義であり、「表面処理を施すこと」は結果として表面構造を設けることになることは、それぞれ明らかである。

更に、引用例発明における「液晶混合物(1)」は電圧を印加しない時はホメオトロピツク配向で、電圧印加時はらせん構造となるものであるから、本願発明における「液晶混合物(5)中のコレステリツク液晶の含有量が電極(3、4)間の電圧を印加しない場合に液晶混合物(5)中で自発的にらせんを形成する量よりも小さい」と実質的内容に差異はない。

したがつて、両者は次の点で一致し、後記①、②の点で相違する。

[一致点]

その内側には層状電極(3、4)が被覆され二つの平行な板(1、2)がセルを形成し、この板の間に液晶混合物(5)が配置され、この混合物は大部分がネマチツク液晶から及び残分が光学活性物質、特にコレステリツク物質から成り、板の内側に隣接する液晶混合物(5)中にホメオトロピツク配列を生じる表面構造が設けられている液晶素子装置において、ネマチツク液晶が負の誘電的異方性を有し、コレステリツク物質の含有量が電極(3、4)間の電圧を印加しない場合に液晶混合物(5)中で自発的にらせんを形成する量よりも小さい液晶表示装置

[相違点]

① 右「ホメオトロピツク配列を生じ、かつ負の誘電的異方性を有する液晶混合物」は、本願発明では「多色性色素」の添加剤を有するのに対して、引用例発明は有していない点。

② 右平行な板の外側に、本願発明は偏光子を有しないのに対して、引用例発明は偏光子を有する点。

4  前記相違点を検討する。

前記①については、液晶を表示装置としてゲストーホスト効果を利用する際に、ゲストとしての多色性色素を、ホストとしての種々の液晶材料分子が基板に対して平行に配列するような液晶材料の組合せにおいて、添加することは周知であるから、右「ホメオトロピツク配列を生じ、かつ負の誘電的異方性を有する液晶混合物」に多色性色素(ゲスト)を添加して、ホメオトロピツク配列を生じ、かつ負の誘電的異方性を有するものとすることは当業者が容易になし得たと認められる。

前記②については、一般にゲストーホスト効果を利用した液晶表示装置は、液晶(ホスト)の配向に応じて多色性色素(ゲスト)の配向が変り、多色性色素(ゲスト)のそれぞれの色の著しい差を利用せんとするものであるから、特に偏光子を省くことは当業者が容易に想起できることである。

5  以上のとおりであるから、本願発明は引用例発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められ、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

審決の理由の要点1ないし3は認める。但し、審決が両発明の一致点として指摘した「コレステリツク物質の含有量が電極(3、4)の間の電圧を印加しない場合に液晶混合物(5)中で自発的にらせんを形成する量より小さい」との構成(以下、「コレステリツク物質含有構成」という。)において、「らせん」とは電圧印加時に形成される液晶混合物の分子配列のねじれ状態を指す。右構成は、「電圧を印加しない場合には、電圧印加時に形成されるらせん(ねじれ状態)を自然に形成することがないようにコレステリツク物質の含有量を調整して添加する」との上位概念的な意味で一致するにすぎず、後に述べるように、両発明の右構成にいう「らせん」すなわち電圧印加時に形成されるらせん(ねじれ状態)の技術的意義は異なる。同4のうち、液晶を表示装置としてゲストーホスト効果を利用する際に、ゲストとしての多色性色素を、ホストとしての種々の液晶材料分子が基板に対して平行に配列するような液晶材料の組合せにおいて、添加することは周知であるとの点は認め、その余は争う。同5は争う。

審決は、本願発明と引用例発明の技術思想上の差異を看過した結果、相違点①及び②に対する判断を誤り、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取消しを免れない。

1  本願発明と引用例発明との技術思想の差異の看過

(一) 本願発明の構成の特徴

本願発明は、「偏光子を有せず」かつ「液晶混合物中にホメオトロピツク(垂直)配列を生じる表面構造」が液晶表示装置に設けられているが、同装置にはラビング(平行)処理は施されていない。したがつて、液晶混合物を構成するネマチツク液晶及びコレステリツク液晶はともに板(1)(2)の面に対してテイトル(傾く)することなく真正な垂直配向構造を示す。そして、本願発明が偏光板を有しないことは、次の技術的意義を有するものである。すなわち、光源(10)から出る白色光は、偏光されることなく入射光の大部分が前板(1)、前電極(3)、配列層(7)及び液晶混合物(5)中を透過した後、内部反射板(8)によつて反射されて、観察者(11)によつて知覚される。このように、本願発明は、偏光されない入射光が「ホメオトロピツクの範囲内では、色素分子はその長軸が入射光と平行であり、したがつて吸収は最小」(本願明細書一一頁二〇行ないし一二頁二行参照)であるから、光が偏光板を通ることによつて振動方向が一定の方向に制限される(すなわち、偏光板を通る光の量が制限される)引用例発明の場合と異なり、極めて明るい背景が得られる。なお、本願発明において、光源(10)からの入射光は自然光(偏光されていない)であるから、光の振動は光の進行方向に直角にあらゆる方向に起こつている。

電極(3、4)の間に電圧が印加されると、前電極(3)ハツチ部の下方の液晶混合物中に電界が生じ、負の誘電的異方性を有し、板(1、2)に対してそれぞれ垂直に配向されているネマチツク液晶及びコレステリツク物質はらせん構造をなすに至る。なお、本願発明のコレステリツク物質含有構成における「らせん」とは本願明細書の全記載、特に発明の構成及び作用効果に関する記載と添付図面等からみて「三六〇度のねじれ」を意味するものである。すなわち、コレステリツク物質含有構成は、電極(3、4)間に電圧を印加した場合に、ネマチツク液晶、コレステリツク液晶及び多色性色素からなる液晶混合物が三六〇度のねじれ状態のらせん構造を形成することを示しているのである。

無電界時において液晶混合物を透過する入射光の振動は光の進行方向に直角にあらゆる方向におこつているので、入射光の振動を全部吸収できればいままで明るかつた背景が真暗になる(あるいは真黒な字が浮かび上る)ことは当然である。しかも、この明暗のコントラストは、「最小の吸収」から「最大の吸収」を生ずるという意味で、極めて鮮やかである。本願発明は、右の意味における振動の全部吸収を、コレステリツク液晶及び多色性色素を三六〇度回転させる、すなわち「らせん」を形成することによつて、達成している。このねじれが三六〇度に足りない場合は、その足りない割合だけ振動の吸収が少なくなり、明暗のコントラストも不鮮明になるのは当然である。また、液晶混合物中を透過する入射光の量自体が(例えば偏光板によつて)制限されるときも、これに伴つて入射光の振動の吸収量が少なくなるので、明暗のコントラストが不明瞭になるわけである。

このように、本願発明の液晶混合物は、電圧印加によつてらせんを形成するので、ホメオトロピツクの範囲内では、色素分子が最高の吸収を生じ、液晶混合物の光透過量はゼロとなり、背景は電圧無印加時の明るい背景から真黒な背景に変化する。その明→暗への明るさの変化は鮮やかである。本願発明の特徴はこの点にあるのである。

なお、乙第一号証記載の発明は、偏光子により偏光された光を使用するものであり、また、液晶混合物に光学活性物質、特にコレステリツク物質を含有していないものであつて、本願発明とは発明の構成において顕著な技術的差異を有するものであり、同じポジ表示装置であつてもコントラスト比が得難いことや応答特性が良好でなく、実用に適しないものである。

(二) 引用例発明の構成の特徴及び本願発明との技術思想上の差異

引用例記載の液晶表示装置は、偏光板、検光板及び液晶表示パネルによつてカラースクリーンの色を見ようとするものである(便宜上、別紙二第2図の右側直線偏光板を「偏光板」といい、左側直線偏光板を「検光板」という。以下、同じ。)。

引用例発明においては、光源からの光は、偏光板により偏光された後液晶表示パネルを通過するが、検光板は偏光板の偏光方向と直交するように設けられているため無電界時には光はこれを通過することができず、観視者にはカラースクリーンが黒く見える。基板の間に電圧が印加されると、電圧印加前にはホメオトロピツク配向を示していた液晶分子が九〇度のねじれ配向となり、これにより液晶表示パネルを通過した光が検光板を通過し、観視者には偏光板及び検光板を通してカラースクリーンの色を見ることができる。しかながら、無電界時には、光源からの自然光は、偏光板を通る際、垂直偏光の光しか通過することができないので、偏光板を通り検光板に達する光の量は必然的に減少せざるを得ず、電圧印加によつてそれまで見えなかつたカラースクリーンが見えるようになつたとしても、その暗→明のコントラストは、偏光板も検光板も有せず光源からの光がこれらによつて妨げられることのない本願発明と異なり、決して鮮明なものではあり得ない。

引用例発明においては、基板附近の液晶分子(セル内の全部の液晶分子ではない。)が傾斜していなければならない点で、純粋な垂直配向ではなく、部分的らせん構造をもつ配向を示す。すなわち、引用例発明は、基板のラビング表面配向処理によつて、電圧印加すると九〇度の均質なねじれ構造を実現する点に着目し、偏光子を通してセルに入射した光がネマチツク液晶分子のねじれに沿つて偏光面を九〇度回転して光を通過(伝導)させることにより、黒地に白色のパターンを表示せしめる(ネガ表示)装置であり、含有されるコレステリツク液晶はネマチツク液晶のねじれ作用を補助する機能しか持たない。このように、引用例発明のコレステリツク物質含有構成は、電極間に電圧を印加した場合に、ネマチツク液晶とコレステリツク物質からなる液晶混合物が九〇度のねじれ状態のらせん構造を形成することを示しているものであり、かつ、右らせん構造形成にあたつてコレステリツク物質は補助的な役割を果たしているにすぎないものである。もし基板附近の液晶分子が傾斜しないときは、電圧印加によりこの分子が任意な形(バラバラな形)で傾斜して均質なねじれ構造をセル内に持つことは不可能となり、結局所望の電気的効果を得ることができない。この点、無電界時において自発的らせん構造を作ることなく、電圧印加時には均質ならせん構造をとる本願発明と本質的に異なるものである。なお、基板附近の液晶分子の傾斜は電圧印加時においてもそのまま残るため、その分だけ入射光の透過を妨げることになり、明るさのコントラストもその分だけ弱められる。また、引用例発明はラビング処理の分だけ本願発明に比べて余分な労力とコストを必要とするものである。

2  相違点に対する判断の誤り

(一) 相違点①について

引用例記載の液晶表示装置は、偏光板、検光板及び液晶表示パネルによつてカラースクリーンの色を見ようとするものであるから、多色性色素を必要としない。蓋し、ゲスト・ホスト方式(なお、コレステリツク液晶を使用して三六〇度のねじれ配向構造とする方式はゲスト・ホスト方式にはない。)で多色性色素を使用するのは、電圧によつて液晶の配向状態が変るにつれて染料分子もこれに追随するので、使用する染料特有の色の変化が見られるからであるが、引用例発明の液晶混合物は、せつかくコレステリツク液晶を使用しながらそのらせん形成効果(大きな旋光性)を活用することなく、偏光板を通過した光をネマチツク液晶により九〇度ねじれ配向するのを助ける作用をするにすぎない。そして、ネマチツク液晶を電圧印加により九〇度ねじることは、偏光板と検光板とのそれぞれの分子の長軸が互いに直交するように配列されていることに基づく。したがつて、引用例発明においては多色性色素を使用する必要も実益もない。

これに対して、本願発明においては、ネマチツク液晶及びコレステリツク液晶が電圧印加により三六〇度のらせん構造を形成するのに追随して、多色性色素も三六〇度のねじれを形成して、液晶の配向変化に応じて迅速にその色を変化させる(暗くなる)のである。このように、本願発明において多色性色素を使用することは、液晶、特にコレステリツク物質のらせん形成機能と不可分の関係を有するのである。そして、本願発明の液晶表示装置が無電界時の「最小の吸収」(明るい背景)から電圧印加時の「最大の吸収」(暗い表示)に鮮やかなコントラストをなしつつ変化できる理由は、コレステリツク物質を含む液晶混合物が電圧印加によつて三六〇度のらせん構造を形成するの追随して、多色性色素が特有の色の変化を生ぜしめるところにある。この意味で、本願発明において、コレステリツク物質の挙動及びこれに追随する多色性色素の挙動が第一次的重要性を有することがわかる。

(二) 相違点②について

引用例の特許請求の範囲には互いに偏光方向が直交する一対の直線偏光板が液晶表示パネルの前後に設けられていることについては何も記載されていないが、該偏光板は引用例発明が成立する技術的前提をなすものであり、偏光板がなければ発明は成立しない。

引用例発明においても液晶混合物中にコレステリツク液晶が添加されている。したがつて、もし引用例発明に偏光板および検光板がなかつたとすれば、液晶分子は三六〇度のねじれ配向を示すことがあり得たはずである。ところが液晶分子(液晶表示パネル)は偏光板と検光板の間に置かれているため、偏光板を通り抜けた垂直偏光の光はこのままでは水平偏光の光のみを通す検光板を通過できない。そこで、液晶分子の中には三六〇度の旋光性を有するコレステリツク液晶分子が含まれているにもかかわらず、わざわざ九〇度の旋光性を示すねじれ配向させて、光が液晶表示パネルを通過できるようにしているのである。このように、引用例発明において、光源からの光を一方向に偏光させて偏光板を通過する光の量を減少させ、かつ、コレステリツク液晶を含む液晶混合物の旋光性を九〇度のねじれ配向に限定、制限しているのは偏光板と検光板に他ならない。この意味で、引用例においては、偏光板と検光板こそが引用例発明の本質的特徴を左右する前提をなすものである。

これに対し、本願発明において偏光子を排除したことは、無電界時において液晶分子の配向を単純な(テイトルしていない)ホメオトロピツク配向とすることにより、入射光の「最小の吸収」を実現している明るい背景を作出し、もつて電圧印加時における「最高の吸収」による明暗の鮮やかなコントラストを作出すための最良の準備段階を提供するものである。

(三) 以上のとおり、本願発明と引用例発明とは、それぞれの要件の奏する機能ないし作用効果との関連において技術的意義を著しく異にするものであるから、本願発明を引用例から推考することは全く不可能であり、審決の相違点①及び②に対する判断は誤りである。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。同四は争う。なお、両発明のコレステリツク物質含有構成において、「らせん」とは電圧印加時に形成される液晶混合物の分子配列のねじれ状態を指すものであることは争わないが、同構成は、原告主張のような上位概念的な意味で一致するだけでなく、技術的意義においても変わるところはない。偏光子は、ねじれたネマチツク効果を利用する引用例発明においては必須の構成であり、一方、ゲスト・ホスト効果を利用する本願発明にとつては不要のものであることは争わない。

審決の認定、判断は正当であり、審決を取り消すべき違法はない。

二1  参加人は本願発明における「らせん」とは「三六〇度のねじれ」を意味するものである旨主張する。しかしながら、本願発明におけるらせんとは、それを形成すればよく、このらせんを三六〇度のねじれとすることは本願発明の一実施例であつて、その効果としてのコントラストを上げるためには三六〇度と限定しなくてもよいから、「らせん」とは「三六〇度のねじれ」を意味すると解釈する根拠はない。

一方、引用例発明において「液晶分子配向が九〇度の旋光性を示す」とは、液晶混合物に電圧を印加、無印加することによつて、光の偏光面が光の入射側と反射側とで九〇度旋光することをいい、このような九〇度旋光させるには、ねじれ配向の角が九〇度の奇数倍、例えば九〇度、二七〇度、四五〇度、六三〇度でよい。すなわち、光の偏光面は、偏光素子である結晶の厚さに比例して回転(旋光)することから、偏光素子である液晶混合物の厚さdを適宜選択することによつて九〇度、二七〇度、四五〇度、六三〇度のねじれ配向を達成することができる。そして、引用例発明においてd≦2pとは、右のような液晶混合物の厚さdを二ピツチ(七二〇度)に相当する厚さと同じかそれ以下とすることを規定したものであり、この条件を満足し、九〇度の旋光を与えるねじれ配向には九〇度、二七〇度、四五〇度、六三〇度がある。したがつて、引用例発明における液晶混合物のねじれ配向を九〇度に限定して解釈する根拠はないし、d≦2pの関係と矛盾対立しない。

2  ゲスト・ホスト液晶表示装置において記号が読み易いポジ表示を行うことは乙第一号証(二頁右上欄一〇行ないし一七行)に記載されて、周知の作用効果である。参加人は、乙第一号証記載の発明は、偏光子を使用する点で本願発明と異なる旨主張するが、乙第一号証には偏光子を有することは記載されていないし、周知のゲスト・ホスト効果を利用した液晶表示装置において偏光子を必要としないことは乙第二号証に明記されている。また、参加人は、乙第一号証記載の発明は液晶混合物に光学活性物質、特にコレステリツク物質を含有していないものである旨主張するが、乙第一号証にはホストとなる液晶は混合液晶でもよく、ネマチツク液晶のみならず、コレステリツク液晶または光学活性物質が混合されてもよいと記載されている。そして、本願発明における液晶混合物はらせんを形成すればよいもので、セルの厚さ(d)とねじれ(ピツチ(p))との関係を考慮することは引用例に記載されている。更に、乙第一号証には、周知のゲスト・ホスト効果を利用した液晶表示装置において、表示方法としてポジ表示又はネガ表示をすることが記載されている以上、実用性が高いか低いかは別として、実用不能であるとはいえない。

3  参加人は、引用例発明においては、検光板は偏光板の偏光方向と直交するように設けられているため、無電界時には観視者にはカラースクリーンが黒く見えると、限定的に主張する。しかしながら、引用例発明における偏光板の作用は、二つの偏光板の偏光方向を引用例第2図(別紙二)の実施例のように直交させると電圧印加前のスクリーンは暗いものであり、二つの偏光板の偏光方向を平行とすると電圧印加前のスクリーンは明るいものであることはすでに知られていることである(乙第三号証)。したがつて、二つの偏光板を用いた液晶表示装置において、表示方法として暗いネガ表示または明るいポジ表示があるから、引用例発明における表示方法については限定的に理解する根拠はない。

4  審決は、引用例発明の偏光子を不要とすることが容易であると判断しているのではなく、周知のゲスト・ホスト効果を利用した液晶表示装置において偏光子は不要であるものと判断しているのである。すなわち、ホストとしてのらせん(ねじれ)構造を含む種々の液晶混合物にゲストとしての多色性色素を添加してゲスト・ホスト液晶表示とすることは周知であるから、引用例に記載のような液晶混合物にゲストである多色性色素を添加してゲスト・ホスト液晶表示とすることは容易になし得ることであるとともに、ゲスト・ホスト液晶表示装置は偏光子を不要とすることは明らかである。

第四証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨、審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  本願発明の概要

本願発明が液晶表示装置に関する発明であることは当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第二号証(本願発明の願書添付の明細書及び図面)(以下、「本願明細書」という。)によれば、ゲスト・ホスト効果による従来公知の液晶素子装置は、現在用いられるネマチツク回転セルに比して該装置が偏光子なしに内部反射板で動作し得るという重要な利点を有するが、公知のゲスト・ホスト液晶素子装置では適度に暗い又は有色の背景に明るい数字を表示することができるにすぎず、これによつて読み取りが困難になる欠点を有すること、本願発明は、右液晶表示装置を、生産し易い方法、良好なコントラスト及び僅かなエネルギー消費で動作するように形成することを課題とするものであるところ、この課題は、ネマチツク液晶が負の誘電的異方性を有し、光学活性の特にコレステリツク物質の含有量が電極(3、4)間の電圧の不存在下に液晶混合物(5)中で電圧印加時に形成される三六〇度のらせん(ねじれ状態)を自然に形成することがないよう調整して添加することによつて解決され、本願発明による液晶表示装置は、公知のゲスト・ホスト表示装置の利点を兼備し、読み取りが角度に関係せず、視差を示さず、偏光子がなく、明るい背景を有し、それゆえネマチツク回転セルが暗色の記号(数字)を明るい背景に表示するものであることが認められる。

三  取消事由に対する判断

1  本願発明の表示装置の表示原理

前掲甲第二号証によれば、本願明細書には「液晶混合物5と色素6とからなる前記組成の全液晶混合物により第1図に示した状態が得られる…電極3のハツチ部分の下方の範囲以外の無電界範囲内では、全液晶混合物はホメオトロピツクの配列を有し、制御によつて電界が存在する電極3のハツチ部分の下方では、捩れた均一ないしは平面的コレステリツク構造が生ずる。ホメオトロピツクの範囲内では、色素分子はその長軸が入射光と平行であり、したがつて吸収は最小である。これとは異なり、コレステリツク範囲内では最高の吸収を生じる。コレステリツク範囲は、さらに第2図に略示されている。」との記載(一一頁一三行ないし一二頁五行)及び「本発明は、一方でコレステリツク分の添加にも拘らず、板1、2の適当な表面構造のもとに液晶混合物5に分子のホメオトロピツク配列及びそれに伴なう最小吸収が生じ、他方でこの配列がネマチツク液晶の負の誘電的異方性の利用下に電圧を印加することによつて最高に吸収する均一なコレステリツク配列に転換されることが可能であることの認識に基づく。」との記載(一二頁九行ないし一六行)があることが認められ、当事者間に争いのない特許請求の範囲第一項の記載に本願明細書の右記載を参酌すれば、本願発明に係る液晶表示装置は、無電圧印加時には液晶がホメオトロピツク配向(垂直配向)の配列を示すように基板(電極)を処理し、電圧印加時には該配列の液晶がねじれた均一なコレステリツク配列に転換されるようにしたものであり(右の「ねじれ」が三六〇度であることは後に説示する。)、このような液晶分子の配列変化に伴ない、該液晶中の多色性色素も配列変化を引き起こし、その結果色変化が生起することとなる現象を利用して、その表示を行うものであると認められる。そして、成立に争いのない甲第五号証(「液晶エレクトロニクスの基礎と応用」、オーム社昭和54年4月25日発行)によれば、液晶材料に多色色素(色素分子の方向により透過色が異なる性質を示す色素)を混入したものにおいて、液晶分子が電界印加によりその配列方向が変わることを利用して、色素分子の配向を変え、これにより電界印加で液晶セルの色を変化させる効果をゲスト・ホスト効果と呼ぶことが認められるから、本願発明における表示原理はゲスト・ホスト効果を利用したものと認められる。

なお、コレステリツク物質含有構成における「らせん」が電圧印加時に形成される液晶混合物の分子配列のねじれ状態を指すものであることは当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第九号証によれば、「コレステリツク配列」は三六〇度回転するらせん構造を呈するものであることは周知であることが認められ、また、前掲甲第二号証によれば、本願明細書には「無電界状態中でホメオトロピツク配列をなおも生じるコレステリツク物質の臨界濃度Coにおいて、制御する場合に液晶混合物5中に(第2図に示したように)セルの厚さdにわたつて三六〇度の捩れを有する均一な平面構造を達成することができる。」との記載のあることが認められる(一二頁一九行ないし一三頁四行)ことからみて、「らせん」を形成するとは、電圧印加時における液晶混合物の分子配列の三六〇度のねじれ状態を指すものと解するのが相当である。すなわち、本願発明のコレステリツク物質含有構成は、「電圧を印加しない場合には、液晶混合物の分子配列が電圧印加時に形成される三六〇度のねじれ状態を自然に形成しないようにコレステリツク物質の含有量を調整して添加する」との意味と解すべきである。この点に関し、被告は、本願発明のらせんの状態が限定されない旨主張するが、右の説示に照らし採用できない。

2  引用例発明の表示装置の表示原理

引用例発明が審決の理由の要点2に記載されたとおりの発明であることについては当事者間に争いがないところ、成立に争いのない甲第四号証(引用例)によれば、引用例発明は、偏光板、検光板の一対の直線偏光板及び液晶表示パネルによつてカラースクリーンの色を見ようとするもので(便宜上、別紙二第2図の右側直線偏光板を「偏光板」といい、同左側直線偏光板を「検光板」という。以下、同じ。)、液晶表示パネルの二枚の基板の内側表面にはラビングによる平行配向処理とレシチンのコーテイングによる垂直配向処理が施されかつこれら基板はラビング方向が互いに直交するように配置されているため、光源からの光は、偏光板により偏光された後、液晶表示パネルを通過するが、検光板は偏光板の偏光方向と直交するように設けられているため無電界時には光はこれを通過することができず、観視者にはカラースクリーンが黒く見えるのに対し、基板の間に電圧が印加されると、電圧印加前にはホメオトロピツク配向を示していた液晶分子が九〇度の旋光性を示すねじれ配向となり、これにより液晶表示パネルを通過した光が検光板を通過し、観視者には偏光板及び検光板を通してカラースクリーンの色を見ることができるものであることが認められる。そして、成立に争いのない甲第一一号証(「液晶・応用編」、株式会社培風館1985年7月20日発行)によれば、一対の偏光板の間に挟まれた液晶において、液晶分子が電圧印加により九〇度の旋光性が消滅することを利用して、電圧印加の有無により光の透過と遮断の変化を生ぜしめる効果をねじれたネマチツクと呼ぶことが認められるから、引用例発明における表示原理はねじれたネマチツクの効果を利用したものと認めることができる。なお、引用例発明においては、二枚の基板の内側表面に垂直配向処理が施さているために無電界時には液晶はホメオトロピツク配向を示し、ネマチツク液晶の誘電異方性が負であるところから電圧印加時には液晶分子が九〇度の旋光性を示すねじれ配向となるものであり、無電界時及び電圧印加時における九〇度の旋光性の消滅及び発生の態様が甲第一一号証に記載のものとは反対になつているが、引用例発明における表示原理も、甲第一一号証に記載されたものと同様、ネマチツク液晶の九〇度のねじれ配向とホメオトロピツク配向という二種の配向を電圧印加の有無により転換させてその旋光性を変化させ、二枚の偏光板の使用と相俟つて光の透過と遮断を生ずるようにして表示を行う点で変わるところはないから、一種のねじれたネマチツクの効果を利用したものと認めるのが相当である。

ところで、被告は、引用例発明における液晶混合物のねじれ配向を九〇度に限定して解釈する根拠はない旨主張するが、前掲甲第四号証及び同第一一号証にはねじれ配向が九〇度以外のものでもよいとするような記載はなく、また、右甲第四号証によるも、引用例におけるねじれ配向の角が九〇度の奇数倍のものを含むことを窺わせるような記載はみあたらないから、被告の右主張は採用できない。

そこで、コレステリツク液晶を添加する意義についてみるに、前掲甲第四号証によれば、引用例には「旋光効果を利用した表示におけるコントラストが、コレステリツク液晶を添加することにより、添加しない場合に比べ、数倍以上高く成ることが見い出された。これは、コレステリツク液晶固有のねじれ構造と上述の透明電極基板面の平行配向処理とが相乗して旋光効果をより完全なものとしているためと考えられる。」との記載(四欄一六行ないし五欄三行)のあることが認められるところから、引用例発明の電圧印加時における九〇度の旋光性を示すねじれ配向自体は、電極基板へのラビングによる平行配向処理とレシチンのコーテイングによる垂直配向処理及び一対の基板はラビング方向が互いに直交するように配置されていることによるものであつて、コレステリツク物質の添加は液晶配向の九〇度旋光性を完全にするための補助的作用を与えているにすぎない。そうであれば、引用例発明のコレステリツク物質含有構成において「らせんを形成する」とは電圧印加時における液晶混合物の分子配列が九〇度のねじれ状態を指し、したがつて、右構成は「電圧を印加しない場合には、液晶混合物の分子配列が電圧印加時に形成される九〇度のねじれ状態を自然に形成しないようにコレステリツク物質の含有量を調整して添加する」との意味と解すべきであり、加えて同物質は右らせん構造形成に当たり補助的な役割しか果たしていないものと認められるのである。

3  以上によれば、本願発明の表示方式はゲスト・ホスト効果を利用するものであり、一方、引用例発明の表示方式はねじれたネマチツクの効果を利用するものであるところ、ゲスト・ホスト効果を利用する表示方式は、電圧印加の有無により液晶の配向に変化を生じさせ該変化に追随して多色性色素の配向を変化させる結果、色変化が生起することを利用するものであり、液晶自体の配向の変化をも利用するものではあるが、最終的には多色性色素の配向を変化を利用するものであつて、特に液晶自体の旋光性の変化を利用するものではないのに対し、ねじれたネマチツクの効果を利用する表示方式は、電圧印加の有無により液晶の配向に変化を生じさせてその旋光性を変化させ、二枚の偏光板の使用と相俟つて光の透過と遮断を生ぜしめて表示を行うものであり、液晶自体の配向の変化による旋光性の変化を利用するものであつて、両者は異なる原理に基づくものであると解される。

そして、コレステリツク液晶を添加することによつて電圧印加時に生ずるねじれの態様も、本願発明におけるねじれは三六〇度であると認められるのに対し、引用例発明におけるねじれは九〇度であると認められることも前認定のとおりであつて、両者はねじれの態様を異にするものであり、また、本願発明にあつては、コレステリツク物質の添加によつて電圧印加時に三六〇度のねじれを有する均一なコレステリツク配向を生ぜしめるものであるのに対し、引用例発明にあつては、同物質の添加は、液晶配向の九〇度旋光性を補助するにすぎないものであり、この点からも両者の原理は異なるものであると解することができる。

このように、本願発明の表示原理と引用例発明の表示原理は異なる原理に基づくものであり、また、本件全証拠によるも、ねじれたネマチツクの効果を利用する表示方式とゲスト・ホスト効果を利用する表示方式とは転用可能な類似の技術であると認めることはできないから、引用例に記載された液晶混合物にゲスト・ホスト効果における必須の構成である多色性色素を使用したとしても、引用例発明を本願発明のようなゲスト・ホスト効果を利用する表示方式のものに転換し得るわけではなく、両発明の表示原理の差異を無視して、ゲスト・ホスト効果を利用する表示方式においてはゲストとして多色性色素を使用することが周知であるということだけをもつて、ねじれたネマチツクの効果を利用する引用例発明の表示方式の液晶混合物に多色性色素を添加して本願発明の表示方式を当業者が容易に想到し得るものと解することは相当とはいいがたい。また、偏光子がねじれたネマチツクの効果を利用する引用例発明の表示方式に必須の構成であるのに対し、ゲスト・ホスト効果を利用する本願発明にとつては偏光子が不要であることは被告も認めるところであり、かように偏光子の有無自体は、両表示方式の本質的な差異に由来するものである以上、本願発明の進歩性の判断に関わりのないことである。

4  以上によれば、本願発明は引用例発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定に誤りがあることは明らかであり、審決は取消しを免れない。

四  よつて、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 田中信義 裁判官 杉本正樹)

〈以下省略〉

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